ナマコ漁の歴史
日本のナマコ漁は古代から行われており、733年に献上された『出雲国風土記』にはナマコの産地(現在の島根県松江市美保関町など)が紹介され、後年の『延喜式』にはイリコやこのわたが租税として納付されたことが記されている[13]。
江戸時代には、ナマコは中国(清)への主要な輸出品となった。干しナマコ・ふかひれ・干しアワビは特に多く輸出され、「俵物三品(ひょうもつさんぴん)」と呼ばれた[14]。ナマコを外貨獲得の手段として重要視していた幕府は、一般市場でのナマコ流通を禁止し、漁師に対しては増産を厳しく迫った[14]。幕府に対し取り立ての猶予を求める、各地の漁業者からの上申書も残されている[15]。
ナマコ養殖の試みは明治時代に始まり、稚ナマコの放流や人工漁礁の造成が各地で行われた。禁漁期間の設置や漁礁の改良を行うなどの努力により一定の成果が得られた地域は多く、大浦湾では昭和初期に増産の成功を記念して「海鼠増殖記念碑」が建てられた[15]。